

■ 「学ぶ」とは何か 戦後を生きた経済学史・社会思想史の学者、内田義彦の『生きること まなぶこと』を取り上げます。 この本で内田は、近代社会を支えてきた「分業」の問題を問い直します... powered by Peatix : More than a ticket.
イベント詳細 ■ 「学ぶ」とは何か
戦後を生きた経済学史・社会思想史の学者、内田義彦の『生きること まなぶこと』を取り上げます。
この本で内田は、近代社会を支えてきた「分業」の問題を問い直します。
産業革命以後、社会の分業化は進み、ある分野に特化した「専門家(スペシャリスト)」が生まれました。それは複雑化する社会を、効率的かつ合理的に動かす大きな力となりました。
しかし同時に、「専門家」と「素人」という分断も生まれます。
その結果、仕事をする自分(専門家の眼)と生活をする自分(素人の眼)が分裂していきます。
ある分野では卓越したスペシャリストであっても、ご飯のおいしい炊き方を知らなかったり、AIの専門家でも春の星座を知らなかったりする。
一人の人間の中に、「専門家」と「素人」が同時に存在しているのです。
A&ANSとして10年活動してきましたが、いま、この分断はさらに進み、学界という小さな世界に、本来広い海である「学問」が押し込められているようにも感じます。
そもそも学問は、この世界に生きる多くの「素人」のための営みだったはずです。
それが、いつのまにか違うものになってはいないでしょうか。
内田は、分業や仕事を超えて世界を俯瞰するまなざしを「カメレオンの眼」と呼びました。
学校教育だけでは育ちにくいこの眼こそ、高度に分化した現代社会において、ますます重要なのではないでしょうか。
AIが知識の集積や情報処理を担う時代、人間に求められるのは、世界を統合的に見渡すこの眼なのかもしれません。
内田は最終章「芸術を問う ― 学問と芸術」で、こう書いています。
人類のあけぼのの時代、未分化な形で結びついていた学問と芸術が人間を支えました。
洞窟に残された未開人の画は、芸術的に見ればすばらしい作品です。
しかし狩猟をする人間にとっては科学的記録であったのかもしれない。
そこからさまざまな科学も芸術も生まれる、人間独自の探究心の所産であったと見ることができます。
その後、芸術と学問は分化しましたが、歴史の結節点結節点では両者の共働が見られます。
芸術は、なかんずく価値観の転換という一点において、学問に方向づけを与えました。
まさに素人から全ては出発しているのだと思います。素人は、無知でも無力でもない。そう教えてくれているように感じます。
当日は、大学で渦の物理を研...
プラットフォーム: peatix / 主催者: A&ANS